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2019年08月28日 更新

人を大切にする、板金屋さんのイノベーション

株式会社植田板金店 代表取締役 植田 博幸

岡山県にある、 株式会社植田板金店 代表取締役 植田 博幸さんに、お話を聞いてきました。

1年間3000件。屋根、外壁、雨どいを施行する会社。

丸尾

まず、植田板金店は、どのような仕事をされている会社でしょうか?

植田

一般的に聞き慣れない業種だと思いますが、弊社は「建築板金工事業(けんちくばんきんこうじぎょう)」と言いまして、主に住宅の屋根、外壁、雨どいなどを施工している会社です。大手のハウスメーカー、それから地域の様々な方からご依頼いただき、屋根工事などを行なっています。

丸尾

身近ではありますが、確かに業種名としては聞きなれないかもしれません。

植田

屋根工事については、新築の場合の施工と、リフォーム(すでに建築済みの家に対する改修工事)の場合の施工があります。また、外壁に関しては、モルタル(砂とセメントを練り混ぜて作る建築材料)でつくる壁をのぞくと、大体、サイディングと板金の壁ですね。あと家以外にも、大きな工場などの板金の屋根や、壁も施工します。

丸尾

沢山の職人さんがいらっしゃるので驚きました。工事の施工件数は年間どのくらいなんでしょうか?

植田

大体年間3,000件ぐらいです。日本全国を見渡しても、住宅中心で工事をしている板金屋さんで、うちほど施工件数が多く、また多数の職人を抱えている会社は、多分ないと思います。

2将来の選択肢を選べる社員職人。

丸尾

職人というと、主に会社に所属しているイメージがあまりないのですが。あくまで主観ですが個人事業主のイメージというか。

植田

おかげさまで現在社員数が55名になりました。植田板金店は、先代の時代から職人、人を育てることを大切にしていたので、その流れを引き継いでいます。会社に入社して何年か職人を経験し、技術を磨いて独立していく人もいます。

面接の際は、そのあたりについてしっかりと説明します。会社としては、独立するために頑張る人は、それだけ真剣に頑張ってくれて、会社にいる間はしっかり利益を残してくれると考えています。またそれ以外にも、「独立して植田板金店の専属職人になるのもOK」、「社員として残り若手育成に励むのもOK」、「管理者を目指して現場の勉強をするのもOK」と入社時に説明して将来を選べるようにしています。

丸尾

まずは職人を正社員として育てて、将来の選択肢も広げているスタイルは、これからというか、現代に合っているのかなと感じますね。

植田

そうですね。時代に合っているからできていることだと思います。

丸尾

チャレンジもでき、チームとして仕事ができるのは、とても安心感がありますね。

植田

最近の若い子は、バリバリのハングリー精神を持ってやりたいという人は珍しいと感じています。職人の世界も同じような考えになっていて安定志向の子が増えています。
世の中のニーズには確かにはまっているかもしれませんね。

丸尾

年間3,000件の仕事を受注できるのは、技術力のほかに営業力もあるということですよね。

植田

正直、植田板金店は専属の営業マンと言える人間はいないんです。実質の営業を担っているのは私ともう一人くらい。うちは技術の仕事なので、よい仕事をすることで工務店さんが知り合いの工務店さんを紹介してくださり、次につながっていき、どんどん仕事量を増やしているイメージです。

3仕事で負けることは、本当に嫌だった。

丸尾

植田社長自身のお話をお伺いします。社長に就任されるまでの経緯を聞かせていただけますか?

植田

そうですね・・僕は勉強が大っ嫌いで(笑)。まったく勉強にも力を入れていなかったし、板金屋になりたいとも考えていませんでした。専門学校の建築学科に入学し、ガソリンスタンドでアルバイトを始めました。でも、このアルバイトが僕のターニングポイントでしたね。

ガソリンスタンドのアルバイトってオイル交換を勧めたり、ウォッシャー液を勧めたりと色んな営業をしないといけないんです。ガソリンを入れるプラスアルファが大切だと教え込まれるんですよね。これが僕はとても楽しかったんです。バリバリ営業をかけて、アルバイトなのに物品だけでも月20万を売り上げていました。そのおかげで、入学して3カ月で学校の出席日数は足りなくなりましたけど・・(笑)。

丸尾

そんなにも一生懸命にアルバイトをされていたのですね・・(笑)

植田

アルバイトの同僚にも、「何でそんなに一生懸命なんだ?」と思われていたと思います。ただ、僕としては「売る」ことがとても楽しかった。売れれば、褒めてもらえて時給も上がるじゃないですか。それが楽しかったんです。

そのうち、多店舗の応援にも行くようになりました。最後には「卒業したら是非うちに就職してほしい」とまで言われましたが、そこで正社員として働くことに興味はなかったのでお断りをして、少しの間フラフラしていたら、母親から「植田板金店を手伝ってみたら」と言われました。

丸尾

お母さんから声がかかったのが、植田板金店で働くきっかけだったんですか?

植田

そうですね。この時点でも“継ぐ”ことは考えていませんでした。
僕のイメージにも「板金屋」は泥臭いイメージがありました。要は、「かっこよくない」と思っていて“夢がある仕事”とは思えませんでした。それに、僕は次男なので継ぐ必要性も感じていませんでしたね。

丸尾

そう考えていながら、手伝ってみたら変わっていったのですか?

植田

そうですね。いざ手伝ってみたら周りの先輩たちはやんちゃな人ばかりで、無茶苦茶だけど、とても楽しかった。僕は、勉強が嫌いなので、勉強で負けることには何も思わないけど、仕事で負けるのは凄く嫌でした。だから誰にも負けたくない、バカにされたくない一心で、気が付いたら一生懸命に仕事を覚え、誰より早く正確にできる工夫をしていました。

丸尾

どのような工夫をされていたのですか?

植田

こうなりたい、と思う職人さんについて回っていました。自分から見て、凄く器用で、仕事も早く、要領もいいと思う人の仕事を見て覚えました。
そろそろ独り立ちって時に、独立したばかりの可愛がってくれた先輩から「うちに来てくれ一緒にやろう」と声をかけてもらいました。ただその時、「何か違うな」と思い、ついていかずに残りました。

4会社の危機、そして植田板金店の社長に。

丸尾

そのまま植田板金店に残ったんですね?

植田

はい。ちょうどその時期、今から約18年前に社内でクーデターのようなことが起こりました。前社長に対して、ついていけないと言う管理者がでてきたんです。
前社長に「社長を辞めろ。辞めないなら私たちが辞める」と言い出しました。現場を取り仕切る管理者が全員で言い出したんです。必死で止めにかかりましたよ。結果として1人の管理者が残ってくれましたが、2人が辞めて取引先と職人の3分の1を持っていかれてしまいました。
本当に潰れると覚悟した瞬間です。残ってくれた管理者1人、職人と僕で、現場の取り仕切り、実際の工事を行いました。前社長、即ち父親とは何度も意見の相違から喧嘩しましたね。

丸尾

前社長は、職人だったんですか?

植田

元職人でした。そのうえ、超ワンマン経営でした。そんな人に抵抗できるのは、息子の僕ぐらいしかいなかった。なので、違うと思う事には徹底して抵抗しました(笑)
そのうち、父親も根負けして「勝手にせい!」となりましたが「わしゃ、もう知らん!今後、全部の判子(はんこ)はお前が押せ!」と言われてしまいました。

丸尾

すべての決済判子ですか!?

植田

最初に押したのは、3,000万円の借り入れの判子だったことを覚えています。総務の人たちからも「お前が判子押さないと潰れる」と言われて。当時、僕は結婚したばかり。しかも1人目の子供が生まれた直後でした。奥さんに相談したら「そんな判子、押さないで!」と言われましたよ。当たり前ですよね(笑)。

なので、内緒で判子を押しました。もう、必死でしたよ。その後、何年もの間、来月の仕事や売上が確保できない日々が続き、お客様からの入金が遅れたら潰れるんじゃないかということの繰り返しでした。

丸尾

リーダーシップの取り方が、前社長は違ったんですね。

植田

父親は本当に「職人」でした。なので、とても不器用で上手に人を使うことは全くできませんでした。だけど、父親の凄いなと思うのは「人に任せられる」所です。
経営者って大体売上が年商2億から3億くらいになったら1人でできる上限になってきて、人に任せるしかなくなります。うちの父親は、そこを理解していて、人に任せられる部分は、どんどん任せていき最盛期で年商約7億くらいまで会社を大きくしていきました。僕が引き継いだ時は、4億まで下がってましたが(笑)

丸尾

そこから、現在、年商10億を超えるところまできたんですね。

植田

そうですね。11億8000万までようやくたどり着きました。今年は14~15億の予定です。

55Sの徹底と、仕事を任せること。

丸尾

ここまでの道のりで、以前の状態と大きく変えたことは何でしょうか?

植田

約18年前に年商4億円で受け継いだ時から「10億」と言っていました。それから15年程かけて、沢山のことを変えていきました。
まずは、「5S(職場環境の改善:整理、整頓、清掃、清潔、躾)」の徹底です。今では色々な会社から5S関連で見学が来るぐらいになりましたが、取り組み始めた最初は大変でした。反発もすごかったので、まずは自分がやることにしました。2年間ぐらいトイレ掃除を1人でしました。その他に事務員さん含め、机の上に何も置かないことを徹底させたり。全て、一気に変えることはできないので、徐々に、徐々に。
できない理由を聞き取り、そのすべてを潰していく方法を取りました。そうすれば「できない」は言えなくなるので、結果できるようになるんですよね。

丸尾

10億規模の会社というのは、それだけ人が自立的に動いてくれないと回らない規模ですよね。

植田

僕自身が一番凄いのは、「何もできない」ことなんです(笑)ほとんど何もできないし、しない。営業にしても自分1人で完結にはしない。きっと今、独立して1人でやれと言われても全く何もできないですよ(笑)やるつもりもないし。

だけど優秀なスタッフや周りにできるスタッフがいるので、「これやっておいて」と仕事をとってきては、バラまいているんです。自分ができないと分かっているから、優秀な人に任せられるんですよ。人に任せられない人がいますよね。そういう人の下では、人も育たないし売上も伸びないと思います。

特に任せられない人って、自分が仕事できる人なんですよ。なんでも自分がやったほうが早いから「こいつ信用できん」「こいつにまかせるのはまだ早い」といって任せない。それでは人は育たないですよね。

6職人の技術を活かす、新事業「小屋やさん」が誕生。

丸尾

話は変わりますが、岡山イノベーションコンテスト2017でファイナリストとして登壇され、イノベーション部門の大賞を受賞されたのが約1年半前。まさに今、植田板金店の新事業でもある「小屋やさん事業」のビジネスプランで大賞を受賞されました。

植田

もともと一切、行く気はなかったんです。(笑)
業界としては表舞台に立つことがタブーとされていました。目立てば目立つほどマイナスになります。でも、BtoCを直接やって目立たないと取り上げてもらえないと考えていたので、チャレンジしました。
今までは同じ業界の社長や(同じ業界の)人としか繋がってなかったのが、色々な人と色々な形で会話ができて、本当に勉強になり今でも皆との交流を楽しく続けています。

丸尾

「小屋やさん事業」を始められた経緯について教えてください。

植田

うちの“正社員職人”が増えるほど、課題になったのが“雨の日”でした。板金屋は雨の日に仕事がないんですよ。少人数の時は、工場で加工をしたり、掃除をしたりしていましたが、“正社員職人”が増えていくと何もできなくて「どうしよう・・?」となりました。

その時、若手に技術取得のための練習をさせようとなったんです。そして、その技術を競って、昇給やボーナス査定としていましたが、それぞれの試験環境の差で、結果にも差がでて不公平感がでてしまうんですよね。

そんな時、たまたま美容院で読んだ、ある雑誌の“小屋特集”が目に入ってきて。
小屋特集の詳細を見れば見るほど「全部うちでできることだ・・」と思いました。
“小屋を作る試験”を行い、出来上がった小屋は販売すればいいんじゃないかと考えたんです。試しに試作品を作ってイベントに出してみたら、反響が良かったのでそこから2カ月で事業としてスタートさせました(笑)。

「小屋やさん」公式サイト:https://koyayasan.com/

7“小屋”の概念を変える、「小屋やさん」の小屋。

丸尾

大きく分けるとどのようなタイプの小屋がありますか?

植田

見た目だけで言えば、まず女性に人気なのが「プロヴァンス」という可愛いイメージの小屋。男性が好きそうな黒い外壁のモダン的な小屋もあるし、他に、ナチュラルなものもあります。

丸尾

では、購入される方は、結構、趣味や事業など利用される用途は様々なんですね。

植田

本当に様々です。アンケートを取っているけど絞り切れない。
スモールビジネスを庭先で始めたり、ガレージや結構立派な犬小屋としての利用されたりすることもあります。

丸尾

「小屋やさん」の小屋は、板金屋さんがやる強みが生かされた作りになっているということですね。本業の強みが生かされたというのは、例えばどういう部分でしょうか?

植田

普通、小屋と聞いてイメージするのは「プレハブで音が漏れる、夏は暑い」や「DIY
で木を組んだもの」といったイメージがあると思います。「小屋やさん」の小屋は、普通に皆さんが住んでいる家に利用する建材を使います。なので、長持ちすることは当たり前、しかも屋根工事、外壁工事などは、うちの本業です。その職人が施工して作る小屋なので、自信を持って『10年保証』をつけて提供できるんです。今までは、そんな品質の小屋が存在していなかったんですよ。

居住性も家と変わらない、小屋やさんの小屋(内装あり)。
丸尾

今までの“小屋”と言えば、それこそプレハブから畑の隅にある小屋までありますからね。人の生活も今は多様性であふれていて、そのあふれた部分に対応しているのが、「小屋やさん」の小屋なのかなとも思いました。

植田

実は「小屋」と呼ばないほうがいいんじゃないかと結構言われました。でもそうしませんでした。例えば、会社名も「植田板金店」と名乗ると非常にニッチな世界で強く生きていけます。それが「株式会社植田」になると、できることの幅は広がりますが、板金屋のニッチな部分は無くなるので、競合の数は増えます。

小屋も同じことで、小屋ではなく「小さな家」にしてしまうと競合が沢山でてきます。小屋というニッチな世界にわざわざ飛び込むことで、逆に「これ、実際に見たら家やん」と言ってもらえるんです(笑)。そこから「小屋やさん」の名前を覚えてもらえると考えてます。

8建築家 隈研吾氏との出会い。

丸尾

建築家の隈研吾氏とのコラボレーションで、「小屋のワ」が限定発売され、グッドデザイン賞も受賞されましたが、そのあたりを教えてください。

植田

隈さんとの出会いは、以前在籍していたスタッフが何十回とアプローチしてくれたのがきっかけです。何度もメールを送っている中で「板金屋」のワードが隈さんの目に留まったことから始まりました。職人さんがいる会社となら何か面白いことができるんじゃないかと思ってくれたんだと思います。

普通、大きな建物や高額な設計依頼しかこないであろう隈さんに「幅2,500、高さ2,800、10平米以内」と制限付きで作ってくださいと無茶苦茶なオーダーをしました。
ところが、小さな建物に興味があった隈さんの好奇心に、その無茶苦茶なオーダーがひっかかったんですよ。そこから、東京大学の学生さんが4名担当としてついてくださり、打合せを重ねながら進めていきました。
そんな中で完成した「小屋のワ」で、グッドデザイン賞もいただけました。

9しっかり雇用し、職人を育てる。

丸尾

最後に、植田社長が大切にされている言葉や、意識されているようなことがあれば教えていただけますか?

植田

これからもしっかり雇用して、小屋を作ったりしながら技術を学んでもらい職人を育てていきます。そして、企業としても地域貢献やスポーツ支援ができるようになりたいと思っています。その前に社員の満足度をまだまだ上げていかないといけないので、実際にそれができるのは、まだ先のことですが。

また僕の周りは、仕事ばかりしている人が多いんですが、僕自身は、プライベートも大切にしていきたいと考えています。なので、日曜日はなるべく休んで家族と出かけるようにしていますし、社員にもそうであってほしいなと思っています。仕事と家庭が両立できて、本当にやりがいある楽しい会社にしたい。それこそ、創業50周年には、社員旅行でみんなとハワイにいきたいと1人で考えています(笑)。

人を大切にする、板金屋さんのイノベーション

株式会社植田板金店

住宅の屋根・外壁・雨樋の新築工事からリフォーム工事まで、みなさまの暮らしにより快適な環境をプロデュースするプロフェッショナル集団。年間3000件の屋根、外壁、雨どい工事を手がける。2017年に新規事業『小屋やさん』をスタート。趣味、作業小屋、事務所、店舗などに利用できる様々なラインナップの小屋を提供し、新たなライフスタイルを提案している。

岡山県岡山市中区藤崎673

『小屋やさん』の公式サイト
https://koyayasan.com/

株式会社植田板金店 企画営業(小屋やさん)の求人情報はこちら
https://okayama.inaka-yell.jp/details/uedabankin1/

 

お話を聞かせていただきありがとうございました。業界としても有数の強さを持つ、本業の屋根工事についてですが「正社員としてしっかり雇用して、職人として育てる」という方針、とても人を大切にされていると感じました。またそれゆえの企業体質の課題を、アイデアと技術力で新事業として展開されている、柔軟性にもとても感銘を受けました。これからの『小屋やさん』事業が楽しみです!植田さんは、本業の技術を生かし、“小屋の概念をかえる”「かえーる人」でした。

 

取材日:2019年4月16日

撮影場所:株式会社植田板金店、小屋やさん工場、小屋やさん展示場「小屋の森」

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